「怒り」の裏側にあったもの——感情が教えてくれる、自分の内面
- dyamamoto29
- 6月13日
- 読了時間: 3分
インドの現地企業を訪問する日。私たちはスタッフや研修生と一緒に、小型バスをチャーターして向かう予定だった。
集合場所には時間通りに全員がそろい、あとはバスを待つだけ。…のはずが、出発予定時刻になっても、10分、20分と経っても来ない。
不安になって何度も運転手に電話をかける。ロケーションを繰り返し説明しても、どうも伝わっていない様子。ようやく連絡がついたと思ったら、まったく違う場所で待っていたことが判明。
■ その瞬間、怒りがこみあげた
「早く来てくれ」「もう全員待っているんだ」「このままではアポに遅れてしまう」そんな焦りと苛立ちが一気に押し寄せ、つい電話口で日本語で怒鳴ってしまった。
「早くしろ!なんで分からないんだよ!」と。相手には当然、日本語など通じるはずもない。でも、感情があふれて止まらなかった。
そのとき、ふと我に返った。「あ、ここはインドだった」と。
■ 日本の“正しさ”が、インドでは機能しない
日本では「時間通り」は前提だ。手配した車は約束の5分前には来る。伝えたロケーションは共有され、運行ルートも確認済み。そんな「当然のこと」が、ここでは違った。
「日本だったら…」という思考が、自分を焦らせ、怒らせていた。でも、それは日本の常識というレンズで、インドを見ようとしていた自分自身に他ならなかった。
■ なぜ、あれほど怒りが湧いたのか?
単に「予定が狂った」ことだけが原因ではない。なぜここまで強い怒りが出たのか?と、あとから振り返って考えた。
「自分の段取りが台無しにされた」という悔しさ
「他のメンバーにも迷惑をかけてしまった」という焦り
「自分の信頼が損なわれるかもしれない」という恐れ
そして何よりも、「自分のコントロールが効かない状況」に対する無力感が、怒りという形で表に出ていたのだと気づいた。
■ 感情は、“外側の出来事”よりも“内側の意味づけ”で生まれる
バスが遅れるという事実よりも、「遅れること=自分の責任になる」という思い込みが、自分を追い詰めていた。怒りとは、「こうあるべき」が裏切られたときに起こる感情だ。
そしてその「べき」の正体は、自分の中にある無意識の期待や価値観だ。
■ 感情は“悪いもの”ではなく、“気づきの入口”になる
怒りを抑えられなかったこと自体を責める必要はない。むしろ大切なのは、「なぜ怒ったのか?」に目を向けることだ。
怒りの裏には、不安や恐れ、責任感や期待がある。それに気づけたとき、初めて「次はどうすればいいか?」を選べるようになる。
■ 感情に振り回されるのではなく、感情に耳をすます
インドのようなカオスの中では、自分の感情があらわになりやすい。でもだからこそ、そこに自分の深層にある思考パターンが現れる。
あの日の怒りも、今となっては貴重な学びの一部だ。怒りを通じて、自分が何を大事にしすぎていたか、何に怯えていたかを知ることができた。
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